replus

RE;COIL (リコイル)メンバーのarc@dmzによる日記

URIについて思うこと

書き途中だけど、まぁ、いいや。プログラマたるもの、思想は実装で示すべきだろう。

URI(Uniform Resource Identifier)

Webサイトにアクセスするとき、人は必ずそのサイトのアドレス──正確に言えばURIを指定する。例えばこのブログのURIは http://digitalmuseum.jp/text/replus/ だ。「お気に入り」とか「ブックマーク」はURIをいちいち入力する手間を省くための仕組みで、登録された項目をクリックしてWebサイトを表示するときには、必ずURIが呼び出されている。

URIは、もともと、インターネット上に存在する何らかの情報の場所を指定するURL(Uniform Resource Locator)の概念を拡張したものだ。詳しくはWikipediaのURIURLのページを見てもらえばだいたい分かる。自分でも説明を読むまで知らなかったが、今ではURLという言い方は古く、仕様上、公式にはURIに取って変わられているらしい。本稿ではいちおう表記をURIに統一するが、URLに読み替えても同じ話(httpスキームに絞った話)しか書いていない。

URIが指し示すもの

ファイル

Webサイトを作った人なら分かることだが、Webサイト上のURIが指し示すものは、普通、ファイルである。

例えば9/23付で公開した記事の中でリンクしたレポートのURI http://digitalmuseum.jp/text/replus/images/070831-nico.pdf は、そのままインターネット上のPDFファイルを指し示している。

また、このブログのURI http://digitalmuseum.jp/text/replus/ は一見、末尾にファイル名が付いていなくて何を指しているか分からないが、実は / で終わるURIはサーバ側(digitalmuseum.jp側)で index.html あるいは index.php を補完するように設定されている。このブログの場合は先のURIで http://digitalmuseum.jp/text/replus/index.php というファイルを指しているとするのが正解である。その証拠に、どちらのURIでアクセスしても同じ内容が見えるはずだ。

具体例はいくらでも挙げられる。例えば mixi は分かりやすくて、個々人のトップページを表示するプログラムのファイル名は home.pl 、メッセージの一覧を表示するプログラムなら list_message.pl などのようになっている。

昔は、URIがファイルを指すことがほとんどだった(と思う)。しかし、近年ではそれ以外の場合もある。というか、ファイル以外を指すほうが多くなってきている実感すらある。

情報

そもそもURIとは「何らかの情報のまとまり(Resource)のありかを特定する標準的な形式(Uniform Identifier)」だ。

ファイルという言葉は一般に「綴じるもの/クリアファイルの類」と説明される。コンピュータの世界では、有意味な一連の情報を綴じたものがファイルである。

だから、ファイル名はURIの一種になりうるが、URIが必ずしもファイルを指すわけではない。

では、「何らかの情報のまとまり(Resource)」には具体的にどんな種類があるのだろうか。

ブログの場合

手始めにブログのURIについて考えてみる。

固定リンクのURI

公に公開されたブログでは、だいたいどんなものでも記事ごとに「パーマリンク」とか「固定リンク」、「Permalink」というリンクが表示されており、クリックするとその記事だけを表示するページが出てくるはずだ。固定リンクという言い回しは知らない間に日本語圏で市民権を得ているようで、このブログでも使っている。

では、この固定リンクとは一体何を「固定」するものなのだろうか? permanent の訳は、英辞郎によれば

【形-3】 常設{じょうせつ}の、常雇用の、常置{じょうち}の、常在{じょうざい}する

である。要するに固定リンクとは、「このURIにアクセスすれば常にその記事が読めるよ」ということを保証してくれるURIへのリンクなのだ。

これは、ブログにおいてとても大事な仕組みだ。もし固定リンクがなかったら、「あ、あの記事どこ行ったかな」と思ったときにブログのトップページから時系列で追うか、タグ(記事ごとにキーワードを指定する仕組み)があればそこから辿るか…何通りかの方法があるにせよ、とにかく一発で記事の情報にたどり着くことはできない。「固定」という言葉を使って説明するなら、記事の情報一つ一つを、あるURIに固定するための仕組みが、固定リンクである。

調べてみたら、似たようなことを詳しくははてなの伊藤さんが二年以上前に書いておられる

その他のURI

固定リンクのところであらかた説明してしまったが、ブログには他にも「月別の記事群」「特定のカテゴリに属す記事群」などを表すURIがある。

まとめ

ブログでは、一つの記事情報に対し、その記事を表示するためのURIは複数存在する。例えばこの記事には、固定リンクでもアクセスできるし、2007年9月25日の記事としてもアクセスできる。タグ「Chippie」を含む記事を辿っても読める。

各URIにファイルを対応させると、一つの記事を修正したときにたくさんのファイルの修正を迫られる。

この処理は重い(時間がかかる)ので、個人向けの多くのブログでは、記事情報をデータベースに入れておき、URIが呼ばれたら、その都度データベースへURIに応じた記事を要求し、返ってきた結果を整形して動的にページを生成する、というやり方を採っている。

ただ、いちいちデータベースへ記事を要求する処理も軽いわけではない。そこで、「ページの閲覧者数が多い(=データベースへ記事を要求する回数が多くなってしまう)」「記事の修正・追加・削除などの頻度が低い(=各URIをファイルにしたとき書き換えを迫られる頻度が低い)」ならば、全てのURIに対応するファイルを書き換える方策のほうが軽い場合もある。著名なブログのシステム、Movable Typeはそのようにしている。どちらのほうが絶対的にいいというわけではないので、条件に応じて適した方法を採るべきである。

Wikipediaの場合

(以降、書き途中)

Movable Typeの機械的な文字列で構成されたファイル名は何とかならんのか。

Ruby on Rails で、URIがクラス、メソッド、引数を表す規約があるらしい。何という横暴。

URIは、情報のまとまりをなるべく忠実に表す文字列であるべきだ。なぜなら、プログラムの内部構造と違って、URIは、情報の受け手が直接に触れる部分=ユーザインターフェースの一部なのだから。

e.t.c.

ちょっとずつ書き足していこうっと…。

メディアとしてのニコニコ動画

「字幕コメント」が持つ力

本レポートでは、これまでに登場したマスメディアを4種類に大別し、それぞれの特徴を見て独自のメディア俯瞰図を作成したのち、「新しいメディア」として注目を集めるニコニコ動画が「いかに」新しいのか分析・考察する。

というわけで、以前、某知り合いのレポートを手伝ったときの原稿をそのまま載せてみる。そのうちちょっとずつ手直ししていく予定。初出はmixi日記(07/08/31)。もある。

ニコニコ動画以前のメディア分類

メディア分類─活字メディア・映像メディア・ネットメディア・ネット映像メディア

メディアとしてのニコニコ動画について述べる前に、これまでに登場してきたメディアを整理しておきたい。メディア論におけるメディアとは、基本的にマスメディア─不特定多数の受け手を対象に情報を発信する媒体を指す。マスメディアという場には、情報と、情報の送信者、そして受信者が登場する。とくに本レポートでは、メディアの発信者・受信者の特徴による分類2種×情報の特徴による分類2種=4種に、マスメディアを大別する。

まず、最古参の「活字メディア」は、少数の執筆者が文字により情報を記し、発信する。投書欄などがあり、受信者からのフィードバックが情報に含まれることもあるが、発信が断続的なので、リアルタイムで情報の編集に受信者が参画することはない。

次に「映像メディア」は、活字メディアよりも発信側の人的コストがかかるため、発信に関わる人間は比較的多いが、あくまで受信者から見た発信者像は(リポーターなど)特定・少数である。また、映像は文字と異なり、情報に時間軸がある。文章は読み手が自分で読むスピードを調整できるが、映像は流す速度を発信者側が決める。メディアとして正しく機能するためには、受け手が多量の情報で溢れないようにする必要があるが、そのための工夫は完全に発信者側に委ねられている。なお、地上波デジタル放送が開始され、その双方向性が盛んに宣伝されているが、視聴者が自由に情報を送信するためにはネットへの接続が必須であり、地上波デジタル放送の基本的な機能では視聴内容についていくつかの選択肢が与えられるだけである。双方の情報の送受信がほぼ対等に行われることを本来の双方向と捉えるならば、地上波デジタル放送は映像メディアに分類される。ネットへの接続をセットにした、いわゆるネットTVは、後述のネット映像メディアに分類できる。

「ネットメディア」は、インターネットを用いたメディアである。ネットでは誰もが自由に情報を発信でき、匿名性もある程度確保されるため、発信者が匿名かつ多数である。発信者が特定できる新聞やテレビなどと違い、発信者が負う責任が小さい。受信者は送信者に対して容易にコメントを返すことができ、多くの場合、コメントは情報の一部として改めて発信される。情報の編集に、受信者がリアルタイムで参画できるのである。また、発信者と受信者は同じ方法(主にTCP/IPのHTTP)でネットに接続しているため、技術的には、発信者ができることは受信者にもできる。発信者と受信者が、はじめて技術的に近い位置に立てるようになったのがネットメディアである。2000年代前半までのネットメディアは、ナローバンドが主流だったこともあり、文字や静止画主体の情報を扱うものが多かった。

ここで、2000年代後半以降、ブロードバンドの普及に伴い、動画を主に扱うようになったネットメディアをとくに「ネット映像メディア」と呼ぶことにする。ふつうのネットメディア(以降、単に「ネットメディア」)をネット上の活字メディアとするなら、ネット映像メディアはネット上の映像メディアである。ただし、ネット映像メディアは広義のネットメディアの一部である。そのため、活字メディア(本など)とは完全に異なる媒体(テレビなど)として存在する映像メディアよりも、断続的に発せられる文字情報との親和性が高い。例えばYouTubeは、動画に残されたコメントや、動画の説明文を読むことで、動画自体が与える情報を補足できる。また、テレビなどと違い自分で巻き戻したり早送りすることが容易なので、発信者側の意図からより自由な状態で情報を視聴できる。

ニコニコ動画とは

ググれ。

ニコニコ動画の特徴

これまでのメディアを俯瞰してみると、ネット映像メディアの中でニコニコ動画が持つ特異性が浮かび上がってくる。とくに、他のネット映像メディアにはない、既存のメディアから引き継いだ特長に着目すると下記2点が挙げられる。

ニコニコ動画が他メディアから引き継いだ特長

映像メディアから受け継いだ特長──「字幕による補足」という手法

映像は、活字と比較して受け手が処理すべき情報量が多く、情報再生の時間軸が発信者によって規定されている。巻き戻しや早送りが自由にできても、やはり受け手の情報処理を手助けする機構があったほうが親切である。そのために、映像メディアは「字幕」を発明した。知ってのとおり、実際の動画と音声に加え、その映像が持つ意味を端的に示す文字を、動画に重ねて表示するのが字幕である。

もちろんこの字幕は、他のネット映像メディアでも用いられている。しかしながらどれも動画内にはじめから字幕を埋め込むもので、はじめから完成された情報を放映する映像メディアの手法をそのままコピーしたものである。例えばインターネットテレビを標榜するメディア(GyaO)では番組制作者側が字幕を入れることがあるが、これはまさにインターネットにテレビの考えをそのまま持ち込んでおり、動画に後から自由に字幕を付与できるニコニコ動画の機能とは区別される。

つまり、ニコニコ動画では、配信する情報を受信者が編集できるネットメディアの特徴を、字幕という手法と結びつけて利用しているのだ。

この点は、さらに大きな意味を持っている。字幕は元来、情報の送信者側が意図して付けているものだった。このため、完成された情報にはどこか「視聴者に喜んでもらおうという意図」からくる「うさんくささ」「いかがわしさ」、作り込まれた印象がついて回る。しかし、ニコニコ動画の字幕の付け手は基本的に情報の受信者である。字幕の付け手が匿名の多数なので、特定の字幕が強い意志を持って受信者に働きかけてくることはない。既存の映像メディアへの不信感、裏を返せば、最初から最後まで特定の意図に基づいて完成されたわけではない情報が配信されているという安心感がニコニコ動画の人気を強固なものにしている。

安心感は、それが裏切られたときに大いなる怒りを呼び起こす。一例として、07年8月下旬、動画の送信者が自身の動画にコメントを集中的に残す「自作自演(以下、自演)」が発覚し、非難された件が挙げられる。(詳細は略)最終的には、運営側が、動画の送信者が自演しているか分からなくする「字幕の匿名化」を施して問題は決着したように見える。

なお、ニコニコ動画は、定められた料金を払うと、いくつか追加の機能を利用できる。追加機能に特別な色の字幕の使用が含まれているところからも、字幕が受信者に対して持ちうる影響力の大きさが伺える。多くの字幕の中で、特別な色の字幕はそれだけである種の個性となり、受信者に対するアピールを果たす。

ネットメディアから受け継いだ特徴──「リアルタイムな情報の更新」という技術的可能性

前項でも、ニコニコ動画が字幕にネットメディアの特徴を結びつけた旨を解説したが、ニコニコ動画はネットメディアの別の側面もうまく利用している。
インターネット用語に、「祭り」という言葉がある。
あとはこのへん読みゃいい。

活字メディアから受け継ぎつつある特徴──「手軽に視聴できるプラットフォーム」

活字メディアが苦境に立っていると言われて久しいが、それでも活字メディアが生き残っている要因の一つは恐らく、紙媒体の扱いやすさだろう。電源コードも重い筐体もなく、明かりさえあれば手に持って読める手軽さは他に類を見ない。

ところが、最近手軽さを持ち合わせた新しいメディアが急成長している。携帯電話(あるいは携帯型ゲーム機)である。
ニコニコ動画にもモバイル版ができたから、今後が楽しみ。

まとめ

ニコニコ動画は、とても素敵なものである。


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