RE;COIL (リコイル)メンバーのarc@dmzによる日記
クリエーターに話を聞いて記事を公開する企画について書いたCREATORS=MEDIAの続き。
クリエーターに話を聞いて記事を公開する、というのは、クリエーターの代弁者たろうとする活動だ。ちょうど自分が立花ゼミで科学者の代弁者たろうとしていたのと同じように、主役はあくまでもクリエーター(立花ゼミの場合は科学者)。0から1を生み出すのはクリエーターで、その行為がいかに有意義であるか、面白いかを何倍にも拡大して伝えようとするのがこの企画、あるいは立花ゼミの目的だった。
言うなれば、足し算ではなくて、掛け算をするのが僕たちの役割だった。
デザインと掛け算は似ていると思う。元々あるものの価値を何倍にもして世に出す、あるいは人に伝えるのがデザインであり、元ネタがなければ、掛けら れる数が0であれば、どれだけデザインに注力しても演算の結果は0なのだ。僕にとってデザインという言葉の意味するところはとても広いので、この点につい てはそのうち別に記事を書くつもりでいる。
さて、近代の建築家や工業デザインの有名な指針に「Form follows function」、すなわち「モノの形はそれが持つ機能に規定される」(どの程度「規定される」のかについては議論が絶えないけれど…)という言葉がある。ここでも、やはりモノのデザインは機能ありきで定められるものであることが前提となっている。
また、比喩的な表現になるけれども、情報科学で使う論理では、足し算の機能さえあれば掛け算の機能も作れる。単刀直入に言えば、足し算をしている人たちが自分の所産について掛け算をすることは、理屈では可能なのだ。
もちろん、時間がなかったり、お金がなかったり、様々な理由で実際には不可能なことが多く、だからこそ立花ゼミやジャーナリストのように掛け算の仕事を専門にする人たちが求められている。
しかし、掛け算よりも足し算のほうがより本質的な演算と言えるのではないか。Tシャツのデザインが社会に大した影響を与えられないように、掛け算を追及し、純粋なデザインを求めれば求めるほど、実社会から切り離されていき、やることなすこと全てが虚業に近くなる…というのが、僕の感想だ。
ここまで掛け算のことをめためたに書いているけれども、それでもデザインが好きだったから、僕は色々なことをしてきた。社会とは関係ないところで、Tシャツだってかっこいいデザインのほうがいいに決まってる。
去年の今頃の僕は、果たして自分には足し算ができるのだろうか?という不安の裏返しとして、掛け算を突き詰めてみたくなっていたように見える。目の前には、CREATORS=MEDIAを進め、掛け算を突き詰めて同じ立ち位置に甘んじる道と、進んだことのない創作という道の二本があった。
思い返してみれば、情報科学科に進学し、そのうち研究に邁進しようというレールが見えてきていた時点で、何らかのかたちで与えられた元ネタをいじくり倒す掛け算ばかりに耽るのは、逃げに値する行為だったような気がする。今のところは、こうして創作活動「プロジェクト・クレノ」を始動したことを正当化・意味付けしている。それだけ自分にプレッシャーをかけてみようと思っているし、そんな自分が、嫌いではない。
創作という道に進んでみる最後のきっかけになったのは、先の記事で「貴重な出会いをしたと思う。」と書いた美大生だ。今ではプロジェクト・クレノの絵師として、一緒にゲームを作っている仲である。
ちなみに、プロジェクト・クレノのメンバーは他に、元は立花ゼミで主催した対談の聴衆の一人だったシナリオ担当と、対談を作り上げる上で片腕になってくれた制作進行で、あわせて四人いる。
僕が色々なものを掛け算しながら(自分を関数に喩えるなら、膨大な量の入力に対してできる限りの値を返しながら)考えてきたことを原案にして、四人で様々なことを話しながら一つの作品として結実させようとしている。今の社会とか、親の世代・僕らの世代のこととか、ゆとりとか、CREATORS=MEDIAを通じて考えようとしていたことも、一見ゲームとは関係なさそうでも遠慮なく話し合っている。そして、それが案外シナリオや演出に重大な影響を与えたりしている。
これぞ創作、という実感がある。
もちろんこれだけが創作じゃない。表現したい、内に溜まったものを表に出すのが創作なのだから、理詰めでなくてもじゅうぶん創作たりうる。むしろ理詰めでないほうが創作として相応しい、面白い場合も多々あるだろう。
そのあたりのことは、ゲームができてから考えればいい。
今はただ、四人で、応援してくれる人たちの協力を仰ぎながら、できることをがんばるのみだ。
過去に書いた今は亡きブログの記事から、今では自分なりに答えが出せそうなものを引用・再掲してみる。この記事を書いた去年の今頃は、学科が決まって、院にもこのまま行くのだろうなぁと漠然と感じていた。そして、そのレールに乗るのは果たして正しいのだろうか、元々デザインが好きだった自分には別の道もあったのではないか…と悩んでいた。
この悩みは、デザイン以外のことを本気でやったことがない自分(そして、これからデザイン以外の道へ本格的に進もうとしている自分)への不安の裏返しだった。今では、それを克服しようと取り組み始めたのがプロジェクト・クレノだったんだろうと思っている。
なお、あとでも触れているが、僕にとってデザインという言葉が意味するところはとても広いので、いつか独立した記事としてデザインについてのあれこれをまとめるかもしれない。
以下、2006年9月23日 22時36分51秒の記事より(ほぼ原文ママ)転載。
久方ぶりの爽快感。
同年代で、創作を本気で生業としようとしている人たちにあまり知り合いがいなかったので、今日は本当に貴重な出会いをしたと思う。
出会った二人のうち、一人は音楽を作り、もう一人は絵を描いている。
クリエーター(あるいは芸術家)を横目で見ながらそうなることを選ばなかった一人として、二人の生き方(これまで、そしてこれから)を正直にうらやましいと思う一方、では自分にできることとは何か、普通制大学に来て学んだ後したいこととは何なのか、その輪郭がはっきりしてきたように感じている。
そして、その二人を僕に引き合わせてくれた二人の大人がいる。進路が定まっているとはいえまだプロになりたて、あるいはまだプロになっていない二人のクリエーターに、忌憚ない意見をぶつけ、そして言った分だけきちんとフォローする姿勢に、「デキた大人」を見た。
爽快感の源は、自分の前に開けている道が見えてきたこと、道を本気で進んでいる二人と知り合えたこと、そして、先人として、僕らの世代の成長を見てくれている二人に気付けたことだろう。
クリエーターズ=メディア
さて、表題に掲げた二語、前々から暖めていた企画の名前である。ここにきて僕の中で大きな意味を持ってきた。
「現代」は人ひとりに流れ込む情報が膨大で雑多になった時代だ。ちょっと前まで強大な影響力を持っていたTVやラジオといった大衆メディアは、個人が自由に情報を配信できるネットに少しずつ役割を奪われてゆきつつある。(メディアミックスなど、大きなメディアが圧倒的な広報によって人々を囲い込む戦略は最早あまり成功しなくなってきた。e.t.c.)それに従い、人が情報を得る姿勢も受動から能動へ変わらざるをえなくなってきた。
また、情報を得る過程に他人が介在する必要が薄れてきたし、暇を持て余さないだけの機会は街中に転がっているから、必ずしも成り行きで人付き合いが生じることもなく、一人で完結した人生を送ることすら容易になってきている。
そして、「社会」が「教育」という機能を持ち、その構造自体が南北あるいは貧富などといった対立軸によってはっきりと見えていた時代が過去のものとなった今、手本とすべき模範や反古にすべき悪習、敵味方の区別は見えず、「普通」といった概念が混沌としていて指針となるものはどこにもない。
つまり、技術革新が人の生き方を否応なく、振り返る間も与えぬくらいの勢いで変えているのに、人がいかに生きるかという指針あるいはその基になる自信、確固たる希望はもはや失われてしまった。
とくに僕らの世代に着目すれば、「個性」を重視する「教育」によって、自覚のあるなしに拘わらず自己「表現」(自分探しとよく言われた。)に対する強迫観念が蔓延しているように感じる。
今やネットに接続できる人なら誰でもブログなど(Youtubeも発信のためのツールに含まれるかもしれない。発信は、受信する人が自然と生じる環境があって初めて成り立つ。)で世界中に自己を発信できる「全員メディア化時代」である。ただ、人ひとりが「メディア」たりうる可能性だけが先行し、強迫観念をうまく解消できる人・できない人の格差は広まる一方である。
そこで、クリエーターに注目してみたい。「表現」という分野のプロである彼ら・彼女らは、いち「メディア」として作品を世に発信し続けることを生業とし、そのことを「社会」との接点としている。
表現の先頭に立ってきたクリエーターと呼ばれる人たちは、今いかにして作品を作っているのだろうか?ある作品が作られるとき、作り手を表現に駆り立てることになるまでの経緯や背景は必ず存在するはずだ。(例えば作り手は、時代背景の影響を免れることはできない。)とくに、社会に受け入れられる作品の作り手が内に抱えるエンジンには、共通仕様のようなものがあるのだろうか?
様々な分野のクリエーターに話を聞くうちに、表現について僕らが抱えている問題から、僕らの持つべき指針というものがはっきりあるのかどうか(ないのかもしれない。今は、絶対的な指針はありえないという気がしているが、パラダイムシフトの前には必ずこのように相対主義的な考えが横行するものだから、希望は堅持していたい。)という疑問への答え、ひいては背後にある現代(日本)社会の色合いが透けて見えてくるのではないか、と、思っている。
何となく、しかし確実に目の前にある絶望感と閉塞感(さまざまなスケールで言えることだろう。例えば、テロとの戦いと言っても敵の姿が見えず、紛争地域は局地化泥沼化してしまって打開策はない。これらの国際問題に僕らが取るべき態度は一体?リアルに感じられない現実がそこらじゅうにある。)からの脱却こそ、この企画を通じて僕らが目指すところである。
企画の参加者募集
要するに、「創作活動に携わる人々」─音楽家、写真家、絵師、彫刻家、作家、演出家、役者、何でもありである─をクリエーターと呼び、彼ら・彼女らが「どうして」「どうやって」「何を」表現しようとしているのか取材してみようじゃないか、という企画である。人によっては「どうして」とか「何を」というのが無いかもしれない。背景説明に長々と書いたのは僕が常々感じている問題意識で、企画を進めるうちに自分なりに答えが出ればいいと思っている。もちろん基本的なところは理解してもらえると嬉しいし、共感してもらえるところがあるなら一緒に存在するかも分からない答えを探したいとも思うが、逆に言えば、取材だけに参加する人たちを(も)大手を振って募集している。瀬名秀明、森博嗣、村上龍、村上春樹、押井守、岩井俊二、阿部寛、士郎正宗、羽海野チカ、安倍吉俊、スピッツ、Cocco、小島麻由美、糸井重里、篠山紀信、橋村奉臣、中村勇吾…誰でもいいから取材したい愛すべきクリエーターを挙げておくれ。今までに、
- これほどまでに分野横断的に
- 若い取材者が愛をもって
- 創作に携わる人のありようを
- とことん書き上げた
ような記事は、どんな媒体でも見たことがないから。もしできたら、
- 意識する、しないに関わらず「表現」とか「個性」への強迫観念にかられたり
- 何となくうまく「社会」に馴染めなかったりする
っていう、あまりにステレオタイプな像に、だけども自分が少し当てはまる気がしちゃうような僕らの世代には、響くものになる気がする。クリエーターになりたかった/なりたい/なった人たちへ贈りたい、そんなものができたら。やってみない?
俺、がんばってひっぱるから。10/8,9あたりにキックオフミーティングっていうか顔合わせっていうかそんなようなものをやるかもしれません。一緒に飯食お。人からの指摘を受けて以下を伸ばしていきます。
企画についての留意点
- 人集めと自主制作冊子の作成などを立花ゼミで行うつもりです。まずゼミのWebサイトSCI(サイ)で記事を公開して行き、ストックを定期的に自主制作冊子として印刷・頒布して、最終的には出版を目指すかたちを取ることを想定していますが、参加してくれる人の元気に応じて話は大きくなったり小さくなったりします。
- クリエイターという言葉は曖昧で、個人的にはそこまで好きじゃありません。けど、今のところ他に「創作に携わっている人たち」をひとまとめに表してくれてみんなに通じる語がないので使っています。クリエイターが何を指してるのかってこと自体、この企画を通じて明確になってきたらいいカナ?
- 上に名前が挙がってる人たちと作品が結びつかないくらいクリエーターの一般知識が不足しているんだけど、と言われましたが、僕も結びつかない人が大半です(笑)人づてに聞いて名前を足したりしているので、そんなものかと。クリエーター一般についての知識は要らず、特定のクリエーターに興味があればいいと思います。
- 当然、取材申し込みをして門前払いということもあるでしょうから、駄目元でもむしろ気軽に参加してください。
- 群れるのが苦手とかおっくうな人もどうぞ。連絡先さえもらえれば進捗はメーリングリストなどでも伝わりますから、ドライに、機会として使ってやってください。別にみんなでわいわい馴れ合うのが主目的じゃないので。
- 「クリエーターって流行ってるよね。何か気に食わない。特別なようで、実は何も持ってないんじゃないの?」という人も、歓迎です。僕がこの企画に込めた裏テーマはその辺りにあるから。みんながクリエーターたりうる時代、絶対的な区別はできるのだろうか─できないと思っているあなた、実際に一線で活躍するクリエーターにぶつかってみたことはありますか?
- 有名な人にしか取材しに行かないかというと、違います。少なくとも、僕は違うつもりでいます。いきなり著名人に取材するのは怖い、という取材する側の都合もあるかもしれないし、僕は、社会的な成功ばかりが意味を持っているとは思っていません。
- 具体的に取材の話を持ちかけられそうなコネのある人は既に相当数います。デザイン会社社長、コピーライター、舞台役者、ピアニスト、写真家、作曲家、イラストレーター、歌手、建築家など。ただ、このうち誰もが名前を知っている、という人は少ないです。
けっきょくこのときは30人近いメンバーを集めて「加藤ゼミ」を作るくらいの勢いだったのに、企画自体は流れてしまった。当時もっとがんばって企画を進めたら、きっとある程度有意義なものになっただろうな、とは思う。
でも、自分がしたかったことはやっぱりちょっと違ったんだろう。
CREATORS=MEDIAの後で立ち上げた新しい企画について書いたプロジェクト・クレノに続く。
2007年9月20日の記事を全2件中1件目から計2件表示
© arc@dmz 2007