RE;COIL (リコイル)メンバーのarc@dmzによる日記
過去に書いた今は亡きブログの記事から、今では自分なりに答えが出せそうなものを引用・再掲してみる。この記事を書いた去年の今頃は、学科が決まって、院にもこのまま行くのだろうなぁと漠然と感じていた。そして、そのレールに乗るのは果たして正しいのだろうか、元々デザインが好きだった自分には別の道もあったのではないか…と悩んでいた。
この悩みは、デザイン以外のことを本気でやったことがない自分(そして、これからデザイン以外の道へ本格的に進もうとしている自分)への不安の裏返しだった。今では、それを克服しようと取り組み始めたのがプロジェクト・クレノだったんだろうと思っている。
なお、あとでも触れているが、僕にとってデザインという言葉が意味するところはとても広いので、いつか独立した記事としてデザインについてのあれこれをまとめるかもしれない。
以下、2006年9月23日 22時36分51秒の記事より(ほぼ原文ママ)転載。
久方ぶりの爽快感。
同年代で、創作を本気で生業としようとしている人たちにあまり知り合いがいなかったので、今日は本当に貴重な出会いをしたと思う。
出会った二人のうち、一人は音楽を作り、もう一人は絵を描いている。
クリエーター(あるいは芸術家)を横目で見ながらそうなることを選ばなかった一人として、二人の生き方(これまで、そしてこれから)を正直にうらやましいと思う一方、では自分にできることとは何か、普通制大学に来て学んだ後したいこととは何なのか、その輪郭がはっきりしてきたように感じている。
そして、その二人を僕に引き合わせてくれた二人の大人がいる。進路が定まっているとはいえまだプロになりたて、あるいはまだプロになっていない二人のクリエーターに、忌憚ない意見をぶつけ、そして言った分だけきちんとフォローする姿勢に、「デキた大人」を見た。
爽快感の源は、自分の前に開けている道が見えてきたこと、道を本気で進んでいる二人と知り合えたこと、そして、先人として、僕らの世代の成長を見てくれている二人に気付けたことだろう。
クリエーターズ=メディア
さて、表題に掲げた二語、前々から暖めていた企画の名前である。ここにきて僕の中で大きな意味を持ってきた。
「現代」は人ひとりに流れ込む情報が膨大で雑多になった時代だ。ちょっと前まで強大な影響力を持っていたTVやラジオといった大衆メディアは、個人が自由に情報を配信できるネットに少しずつ役割を奪われてゆきつつある。(メディアミックスなど、大きなメディアが圧倒的な広報によって人々を囲い込む戦略は最早あまり成功しなくなってきた。e.t.c.)それに従い、人が情報を得る姿勢も受動から能動へ変わらざるをえなくなってきた。
また、情報を得る過程に他人が介在する必要が薄れてきたし、暇を持て余さないだけの機会は街中に転がっているから、必ずしも成り行きで人付き合いが生じることもなく、一人で完結した人生を送ることすら容易になってきている。
そして、「社会」が「教育」という機能を持ち、その構造自体が南北あるいは貧富などといった対立軸によってはっきりと見えていた時代が過去のものとなった今、手本とすべき模範や反古にすべき悪習、敵味方の区別は見えず、「普通」といった概念が混沌としていて指針となるものはどこにもない。
つまり、技術革新が人の生き方を否応なく、振り返る間も与えぬくらいの勢いで変えているのに、人がいかに生きるかという指針あるいはその基になる自信、確固たる希望はもはや失われてしまった。
とくに僕らの世代に着目すれば、「個性」を重視する「教育」によって、自覚のあるなしに拘わらず自己「表現」(自分探しとよく言われた。)に対する強迫観念が蔓延しているように感じる。
今やネットに接続できる人なら誰でもブログなど(Youtubeも発信のためのツールに含まれるかもしれない。発信は、受信する人が自然と生じる環境があって初めて成り立つ。)で世界中に自己を発信できる「全員メディア化時代」である。ただ、人ひとりが「メディア」たりうる可能性だけが先行し、強迫観念をうまく解消できる人・できない人の格差は広まる一方である。
そこで、クリエーターに注目してみたい。「表現」という分野のプロである彼ら・彼女らは、いち「メディア」として作品を世に発信し続けることを生業とし、そのことを「社会」との接点としている。
表現の先頭に立ってきたクリエーターと呼ばれる人たちは、今いかにして作品を作っているのだろうか?ある作品が作られるとき、作り手を表現に駆り立てることになるまでの経緯や背景は必ず存在するはずだ。(例えば作り手は、時代背景の影響を免れることはできない。)とくに、社会に受け入れられる作品の作り手が内に抱えるエンジンには、共通仕様のようなものがあるのだろうか?
様々な分野のクリエーターに話を聞くうちに、表現について僕らが抱えている問題から、僕らの持つべき指針というものがはっきりあるのかどうか(ないのかもしれない。今は、絶対的な指針はありえないという気がしているが、パラダイムシフトの前には必ずこのように相対主義的な考えが横行するものだから、希望は堅持していたい。)という疑問への答え、ひいては背後にある現代(日本)社会の色合いが透けて見えてくるのではないか、と、思っている。
何となく、しかし確実に目の前にある絶望感と閉塞感(さまざまなスケールで言えることだろう。例えば、テロとの戦いと言っても敵の姿が見えず、紛争地域は局地化泥沼化してしまって打開策はない。これらの国際問題に僕らが取るべき態度は一体?リアルに感じられない現実がそこらじゅうにある。)からの脱却こそ、この企画を通じて僕らが目指すところである。
企画の参加者募集
要するに、「創作活動に携わる人々」─音楽家、写真家、絵師、彫刻家、作家、演出家、役者、何でもありである─をクリエーターと呼び、彼ら・彼女らが「どうして」「どうやって」「何を」表現しようとしているのか取材してみようじゃないか、という企画である。人によっては「どうして」とか「何を」というのが無いかもしれない。背景説明に長々と書いたのは僕が常々感じている問題意識で、企画を進めるうちに自分なりに答えが出ればいいと思っている。もちろん基本的なところは理解してもらえると嬉しいし、共感してもらえるところがあるなら一緒に存在するかも分からない答えを探したいとも思うが、逆に言えば、取材だけに参加する人たちを(も)大手を振って募集している。瀬名秀明、森博嗣、村上龍、村上春樹、押井守、岩井俊二、阿部寛、士郎正宗、羽海野チカ、安倍吉俊、スピッツ、Cocco、小島麻由美、糸井重里、篠山紀信、橋村奉臣、中村勇吾…誰でもいいから取材したい愛すべきクリエーターを挙げておくれ。今までに、
- これほどまでに分野横断的に
- 若い取材者が愛をもって
- 創作に携わる人のありようを
- とことん書き上げた
ような記事は、どんな媒体でも見たことがないから。もしできたら、
- 意識する、しないに関わらず「表現」とか「個性」への強迫観念にかられたり
- 何となくうまく「社会」に馴染めなかったりする
っていう、あまりにステレオタイプな像に、だけども自分が少し当てはまる気がしちゃうような僕らの世代には、響くものになる気がする。クリエーターになりたかった/なりたい/なった人たちへ贈りたい、そんなものができたら。やってみない?
俺、がんばってひっぱるから。10/8,9あたりにキックオフミーティングっていうか顔合わせっていうかそんなようなものをやるかもしれません。一緒に飯食お。人からの指摘を受けて以下を伸ばしていきます。
企画についての留意点
- 人集めと自主制作冊子の作成などを立花ゼミで行うつもりです。まずゼミのWebサイトSCI(サイ)で記事を公開して行き、ストックを定期的に自主制作冊子として印刷・頒布して、最終的には出版を目指すかたちを取ることを想定していますが、参加してくれる人の元気に応じて話は大きくなったり小さくなったりします。
- クリエイターという言葉は曖昧で、個人的にはそこまで好きじゃありません。けど、今のところ他に「創作に携わっている人たち」をひとまとめに表してくれてみんなに通じる語がないので使っています。クリエイターが何を指してるのかってこと自体、この企画を通じて明確になってきたらいいカナ?
- 上に名前が挙がってる人たちと作品が結びつかないくらいクリエーターの一般知識が不足しているんだけど、と言われましたが、僕も結びつかない人が大半です(笑)人づてに聞いて名前を足したりしているので、そんなものかと。クリエーター一般についての知識は要らず、特定のクリエーターに興味があればいいと思います。
- 当然、取材申し込みをして門前払いということもあるでしょうから、駄目元でもむしろ気軽に参加してください。
- 群れるのが苦手とかおっくうな人もどうぞ。連絡先さえもらえれば進捗はメーリングリストなどでも伝わりますから、ドライに、機会として使ってやってください。別にみんなでわいわい馴れ合うのが主目的じゃないので。
- 「クリエーターって流行ってるよね。何か気に食わない。特別なようで、実は何も持ってないんじゃないの?」という人も、歓迎です。僕がこの企画に込めた裏テーマはその辺りにあるから。みんながクリエーターたりうる時代、絶対的な区別はできるのだろうか─できないと思っているあなた、実際に一線で活躍するクリエーターにぶつかってみたことはありますか?
- 有名な人にしか取材しに行かないかというと、違います。少なくとも、僕は違うつもりでいます。いきなり著名人に取材するのは怖い、という取材する側の都合もあるかもしれないし、僕は、社会的な成功ばかりが意味を持っているとは思っていません。
- 具体的に取材の話を持ちかけられそうなコネのある人は既に相当数います。デザイン会社社長、コピーライター、舞台役者、ピアニスト、写真家、作曲家、イラストレーター、歌手、建築家など。ただ、このうち誰もが名前を知っている、という人は少ないです。
けっきょくこのときは30人近いメンバーを集めて「加藤ゼミ」を作るくらいの勢いだったのに、企画自体は流れてしまった。当時もっとがんばって企画を進めたら、きっとある程度有意義なものになっただろうな、とは思う。
でも、自分がしたかったことはやっぱりちょっと違ったんだろう。
CREATORS=MEDIAの後で立ち上げた新しい企画について書いたプロジェクト・クレノに続く。
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執筆者: | arc@dmz |
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作成日時: | 2007/9/20 13:58:13 |
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更新日時: | 2007/9/20 14:36:39 |
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